#21歳 彼女の場合
5月19日
目が覚めると、今日も一日が始まる。
上半身だけを起こして、カーテンが開きっぱなしになっていた窓から外を見た。
今日も窓からは、異様に伸びたビルと灰色の空しか見えない。
頭の芯がはっきりしないまま、手の届くところに置いてあった服を引き寄せた。
布団から出る気はしない。
時計が止まっているから、時間が良く分からない。
太陽は灰色の中に姿を隠しているから、
朝なのか、昼なのか、夕方なのか分からない。
最近は酷い事に日めくりのカレンダーも破っていない。
だから、今日が何日なのかも定かではなかった。
服に手を伸ばしたままの状態で、だんだんと意識がはっきりしてきた。
多分、昨日のことだ。
高校の頃の友達から、連絡があった。
それほど仲が良かった訳でもないが、お互いの連絡先は分かっていた。
携帯電話は持っていても使わない、鳴っていても出ない習性がある。
その為、連絡は全て留守番電話によって伝えられていた。
友達の声は高校の時と変わっていなかったと思う。
その友達の用は、この街を出て行くから、
駅まで見送りに来て欲しいと言うものだった。
何故自分が…とも思ったが、特にやることもないし、
なにより最近は外に出ていなかったから、久しぶりに外に出る良い機会だった。
やる事がみつかると、動かざるおえない。
掛け布団を剥ぐことが嫌だったが、なんとかして布団から出た。
久しぶりに歩く街は、以前歩いた時と変わっていなかった。
変わっていたのは、交差点から歩いてすぐの左側にある店が閉ったこと。
でも、何の店だったかは覚えていなかった。
多分、自分には特に関係のない店だったのだろう。
変わらないのは街並だけでなく、その背景を彩る空も変わってはいなかった。
自分の部屋の窓から見た灰色の空が、今日も街並の後ろに張り付いていた。
この空は、いつも灰色で街に溶け込んでいた。
本当の空は青いことを忘れてしまう位、青い空を見ていない。
この灰色の空の下、何処までか行けば途切れて、本当の青が広がっているのか。
そんな想像をしてみるが、進んでも進んでも、一向に青はやって来なかった。
赤信号が青に変わって、白い線を踏んで歩くと、駅に着いた。
携帯電話をポケットから取り出して、もう一度留守番電話を聞く。
今更になって友達の声を聞きながら、こんな声だったかと思い返してみた。
思い返しても良く分からないので、考えるのも面倒臭くなった。
友達が携帯電話の向こうで、2時に2番線、と言っているのを聞いて、
携帯電話の画面で、今の時刻を確認した。
1:49と表示され、充電が一つ減っているのをみた。
一昨日も充電が一つ減っているのを見た気がする。
そのうち切れるかなと思いながら、ポケットに携帯電話をしまう。
見送るだけなので、安い切符を買って2番線のホームに入った。
一通りホームを見てはみたが、友達らしき人はいなかった。
ホームの時計を見る。
まだ一応、2時前だった。
適当に空いているベンチに座り、ホームの屋根から少し覗いた空を見ていた。
灰色は変わりなく灰色だった。
人の話す声が遠くから、近くから聞こえる。
何処かで車の排気音。聞き覚えのある、横断歩道の音楽。
風がビルの間を、人の間を通り抜ける音。
自転車のブレーキ音。木の葉が擦れ合ってざわめく音。
ただ止まったように過ぎて行く。
何本くらいの電車が通り過ぎただろうか。
少なくとも、そこに座り始めてから、6回は電車のドアが開閉するのを見た。
7回目のドアが開いた時、すでに一歩踏み出している自分がいた。
待っているのに飽きたのか…自分でも良く分からなかった。
電車に揺られながら、窓の外をずっと見ていた。
二つ目の駅を越えた時に、自分が電車に乗ったわけが分かった。
きっと灰色の向こうに、本当に青があるのか知りたかったんだ。
それが答え。
そして、その答えを満たすような空が、二つ目の駅を越えた時に見えた。
微かではあるが、灰色の中から白い筋が降りていた。
その白い筋は灰色の切れ目からもれていて、
灰色の切れ目の向こうには、ほのかに霞み掛かった青が見えた。
ただそれだけなのに、ただそれだけなのに、
目に焼き付くほどの青を見た訳でも、
ましてや白い筋が自分に降り注いでいる訳でもないのに
それは全て自分の為にあるように思えた。
電車は走り続け、完全な青に辿り着く。
電車を降りた時、ポケットの中の携帯電話に気が付いた。
メールが入っていた。
街を出て行く友達からだった。
前に付き合っていた人と寄りが戻ったらしい。
だから、もう少しこの街にいることにした、と。